映画『雨月物語』美女の亡霊と陰膳

日本映画史上、最高のお墓のシーンのある映画をご紹介します。
1953年の日本映画 溝口健二監督の最高傑作『雨月物語』です。
イタリア・ベネチア国際映画祭で最高の銀獅子賞を受賞しました。
時は織田信長と浅井長政が争った戦国時代の末期。所は近江国(滋賀県)琵琶湖の東岸あたり。迫り来る戦乱の予感の中で生きる腕の良い焼物師の源十郎(森雅之)と妻・宮木(田中絹代)5~6歳の少年の3人家族の物語です。
湖畔の大きな町(長浜か?)に舟で皿や焼き物を売りに出た源十郎は、店に美しい姫君・若狭(京マチ子)がやってきて、皿の出来ばえをほめられ大金で全部買ってくれるという。姫について立派な屋敷に着くと美しい服に着がえさせられる。自作の大皿に見事な魚が載り酒をすすめられる。源十郎は大金と美女を前に舞い上がり貧乏な家の妻と子の事を忘れてしまう。姫に引かれて入浴し、背中を流してもらうシーンが妖艶で美しい。京マチ子の目の力と声がすばらしい。2人は男と女の仲になる。
次の日、町に出た源十郎は旅の僧に呼び止められる。顔に死相が出ているという。町の者に聞くとその屋敷は5年前に織田信長に攻め滅ぼされた朽木家の荒れ屋敷で一族は全員殺されたはずだという。その夜、男の床に肌を寄せ首筋に噛み付こうとした姫(実は朽木家の亡霊)はビックリして後ずさりしてしまう。源十郎の全身には老僧の書いた梵字が書かれていたのだ。翌朝目をさますと姫も屋敷も跡形もなく消えていた。
このあたりの筋は「平家物語」の耳なし芳一の話。ヨーロッパの吸血鬼ドラキュラが美女の首に噛み付こうとして十字架を見て逃げ出すのと同じです。
イギリスのシェークスピアの芝居「マクベス」や「ハムレット」「リア王」などには、多くの亡霊や悪霊が登場します。ヨーロッパの人もこの映画を見て日本にも亡霊・悪霊の話があるのかと感心したのではないでしょうか。
源十郎の留守中、妻の宮木は戦乱の中、兵隊たちに襲われ息子と食べ物を守ろうとして雑兵に殺されてしまいます。源十郎が亡霊の夢から醒めて転がるように自宅に帰ってきた時、そこには自分を愛してくれた妻の姿はなかったのです。
映画もラストに近づき最後の5分間が見事です。妻の死後も源十郎は焼き物を作り続けます。自分の大きな判断ミスで留守中に妻を殺してしまったのですが、その悲しみを胸にしまって黙々と皿を焼き続けます。
まだ小さな少年が父の仕事を手伝います。隣に住むおばさんが少年に食べ物をあげます。お腹のすいていたはずの少年は自分ですぐ食べようとせず、家の横にある母の墓の墓前にその食物を供え手を合わせます。日本では「陰膳を供える」といいますが、ヨーロッパにはこのような風習はあるのでしょうか。少年の背中をとらえていたカメラが引いていき少年と家が小さくなって映画は終わります。
この映画では、家族の喜びと悲しみ、ほんとうの幸福とは何かが語られています。家族の宝である少年の母親への共感と思慕の深さ、お墓というものがあって母と少年の心が伝わりあうということ。少年はきっと父の後を継ぎ強く大きく育つにちがいありません。明るい余韻のある終わり方で溝口監督の力をよく見せていると思います。

1) 陰膳(かげぜん) 旅行などで不在の家族のために留守宅で供える食膳のこと。不在者の無事を願う習俗。現在は仏壇などに陰膳を供える家庭も少なくなってきました。戦時中はどこの家庭も戦地に出征した夫や息子の無事を祈って陰膳しました。 また、すでに他界した身内のあの世(極楽浄土)への旅路の無事を願って準備する食膳も陰膳といいます。

2) 溝口健二監督(1898~1956) 日本映画の最盛期の1950年。黒澤明、小津安二郎と並ぶ世界に誇る日本の三大監督の一人。 ゴダール、トリュフォー、ベルトルッチ、パゾリーニなどヌーベルバーグ(1960年頃)世代の ヨーロッパの映画作家に多大な影響を与えた。 3) ファーストシーン 「雨月物語」のファーストシーンはあまりに有名。 城壁など高い所にあるカメラが少しずつ町の中心の市場に下りて来る。町の繁栄、にぎやかさの象徴として大道芸人が登場する。 田舎者の主人公が始めて都に出て来る時などの映画の表現方法。欧米や中国など世界中の何十人、何百人の映画監督がこの方法を使っている。 綱渡りの美女、火を吹く大男、逆立ちする少年など大道芸人が出てきたら溝口健二のまねであり、 リスペクトである。

2021年10月8日 取締役会長 原 伝

墓は先祖からの手紙

5年前の8月のお盆。夫婦で長崎を旅行しました。坂本龍馬の「亀山社中」の史跡を訪ね、狭い坂道を下りてくると、お寺が連なる寺町に出ました。時刻は夏の夕方6時過ぎ。寺の前を手に提灯やお花、お供えを持たれたおじいちゃんとご夫婦、楽しそうな小学生が2名歩いて行かれました。
家族三代揃ってのお盆のお墓参りです。きっとお墓で眠るおばあちゃんも喜んでいるのではと感動しました。
子供の頃から親といっしょに墓参りをすることは大切なことです。草をむしり、タオルで墓石を洗い、花を生けて供物を供え、線香に火を灯す。合掌して少年が大人になっても、その事は一生残るでしょう。
老人や弱者へのいたわり、命の大切さがわかって子供たちが優しい人になればこれ以上の教育はありません。

長崎で見つけた宝物「幸せのはひふへほ」                         同じ時、長崎市寺町107 臨済宗 禅林寺の掲示板にあった禅の言葉

んぶんでいい となみでいい つうでいい

いぼんでいい どほどでいい

まさに禅の境地です。

2021年6月3日 取締役会長 原 伝

 

 

人類最古の墓

人類の祖先のひとつであるネアンデルタール人は、今から20万年前に出現し、氷河時代の約2万年前に絶滅しました。彼らは石器と火を使っていました。
今まで発見された人類最古の墓は、このネアンデルタール人の推定2歳の少年のものです。約6万年前のシリアのデデリエ洞窟で見つかりました。なぜ墓かというと、全身の骨がほぼそのまま保存されていたからです。
地球上では、土の中に埋葬されていないと自然界の狼やキツネ、ワシやカラスの肉食の動物や鳥に遺体が食べられ、骨が散乱してしまうのです。この少年の父や母や家族は、動物たちから少年の遺体を守るため、穴を堀り、土をかけ、その上に何枚もの石を重ねています。この家族には、少年の死を悲しみ愛おしみ、遺体を守ろうとする、温かな心があったのです。
世界の人類学者は、これこそ人類最初の墓であり、以来6万年もの間、人間は墓を作り続けてきたと言っています。

2020年9月8日 取締役会長 原 伝